別れの言葉じゃなくて
「、」
ねぇ、といつもと変わらない調子で呼びかけたつもりだったのに、自分の耳に入ってきた声はとんでもない程に掠れていた。昔―といってもたったの数年前のことだけれど―「ひばりの声」なんて褒めそやされたっていうのに、今じゃあまるで「不如帰」みたいだなんて思う。
格好つけたことを言うつもりはないけれど、最後に何か伝えたかった。ああ見えて寂しがり屋な政宗のことだから、きっと「俺の所為だ」なんて自分を責めたりするんだろう。そんなことはないと、私は幸せだったと伝えたかった。こうして死に逝く私のことを哀れに思う必要なんて全くないのだ。
けれど口から零れるのは言葉にならない音と、そして鮮血。何も言えていないのに、赤い血の染みばかりがじわじわと広がっていく。悔しい。私はこんなにも脆かったのか。
ごぼ、
鈍くなっていく感覚に「ああもう無理だ」なんて他人事のように思う。私はここで終わるのか。今までを思い返しながら、どうして私の周りの景色はこんなにもゆっくりと動いているのかと思う。ああ、これが走馬灯ってやつなのか。
政宗が何かを言っている。声だけが聞こえる。いつも私にしか解らない言葉で「好きだ」と囁いてくる、あの声。
欲を言うならもう少し一緒に居たかったな。政宗が政務をしている横でのんびり昼寝したり、小十郎の畑仕事を手伝ったり、成実さんや綱元さんに勉強を教わったりさ。
戦とか天下とかは理解の範疇を超えた世界だったけどそんな束の間の日常は気に入ってた。言わなかったけど。楽しかった。大好きだった。きっと今までで一番幸せだった。
「まさむね」
今度は少しはマシに言えただろうか。聞こえていたらいいと思う。相変わらず口の中は鉄臭くてしょうがないけど、不思議なことに聴覚だけはしっかりしてる。一生のお願いなんて今までだって何回もしてきたけど、これで本当に最後だから神様もう少しだけ私の命をこの地に繋いでいてください。
あのね、できれば、私のこと忘れないでください。別に私に操を立てろとか言ってるんじゃなくてね?たまには「こんな女がいたなー」って位には思い出して欲しかったりするわけですよ。だめ?「ばかやろう」ありがと。
陳腐なお願いだけど、まぁ、今回の私の功労に免じて我慢して下さい。国主を守って殉職なんてさ部下の鏡でしょう?小十郎さんも褒めてくれるよね。
もう、そろそろ時間切れかな。
ほっと息をついた途端に、私の意識は飛ぶように掻き消えた。
「ん」
ぽすんと頭に何か硬いものが当たった。その衝撃のおかげか、私の脳みそは緩やかに覚醒していった。目を擦って瞬きを繰り返すとうすい涙で滲んだ視界の向こうに誰もいなくなったがらんどうの教室が見えた。
「この俺の補習中に居眠りたぁ、随分いい御身分だな」
「……へ?」
丸めた教科書を片手に私を見下ろす影は確か今年から新任の英語教師の―ええと名前何だっけ。確かこの学校に来た初日からかっこいいと噂になっているんだったような―私の鈍った思考を遮ったのは声に、どこか懐かしさを覚えた。
「さぞや、いい夢だったんだろうなぁ?」
「あれ先生。その丸めてるやつ、私の教科書じゃ……」
ぽか、と今度は教科書の角が脳天に直撃した。
「随分とハッキリと寝言言ってたぞお前」
どうやら私は英語の補習授業中に居眠りをしたらしい。てことは他の生徒はもう帰ってしまったのだろうか。窓の外はぼんやりと空がうす暗くなっていて、それなりに遅い時間だということだけはわかった。うん、そりゃあ怒るよねぇ。
「おい」
「すみませんでした」
反射的に頭を机にガバッと伏せて謝罪を口にする。もし私が立っていたらこの勢いのまま土下座をしていただろう。どんだけ仕込まれてるんだ私は。自分で自分に妙な感心をしながらちらりと視線だけを上げて相手の顔をうかがった。真直ぐに伸びた背筋、右目を覆う黒い眼帯。ついでにいえば反対の瞳は真剣に私を見つめていた。瞬きをしながら見つめ返す私に、先生は小さく舌打ちをする。
「あー……先生?」
「人に忘れんなって言っておいて、自分はさっさと忘れてんじゃねーよバカ」
「え、」
複雑怪奇に絡まっていた思考やら記憶やらいろいろなものが少しずつ解けていく。思い当たった答えは私の予想の斜め上を行っていたけど、どんなにあり得なさそうでも最後に残ったものが真実だと英国の有名な私立探偵が言っていた、気がする。え、でも本当に?ドッキリじゃなくて?
「ま、政宗?」
おっかなびっくりの私の声に返事はなかった。けれどその代わりに小さく笑う声と暖かな手が落ちてきた。
「幸せだとか大好きだとか、もっと早く言えよ、阿保だろ」
ああ、なんだ。そうか。
I have kept you waiting so long time. So sorry.
And I love you.