まどろみの向こう

 しんしんと音が消えるとは正にこのことだなと政宗は思った。
 雪空の下では城下の町だけでなく周囲の山の中まで一気に静まり返っているように見えた。おそらくこの天候の中、外をほっつき歩いている常人は政宗の他にいないだろう。
 政宗が自室にて物書きをしているときのことだ。

「雪が降り出しましたよ」

 火鉢を手にやってきた女中がそう言った。寒ぅなって参りましたから政宗様もお気をつけてくださいねと微笑む。政宗は気のない返事を返しつつも、既に心中では外に出かけようかと城を抜け出す算段を立てていた。
 見事こうして家臣を誤魔化し城を抜け出してきたわけだが、傘も差さずに寒空の下で自分は一体何をしているのかと思わずにはいられなかった。雪が見たかったわけではない。雪なんぞ城に居ても見ることはできる。

「……寒いな」

 吐く息まで白い。
 当たり前のことだ。冬になれば雪が降る。積もった雪は大地を凍らせる。山の獣たちは揃って静かな眠りにつく。雪の見えない暖かい土穴の中で飽きるほど長く夢を見られるというのは、一体どんな気分だろうか。
 政宗は己に残された片方の瞳を閉じて、息を細く吐いた。背後からとてつもなく派手な足音が聞こえてきたからだ。

「政宗様」

 ガサガサと雪を蹴り散らしながら駆け寄ってくるのは、件の女中だった。せっかく積もった雪に容赦がないなと政宗は静かに笑った。その笑いを勘違いした女中は「あらまぁ心外です」とでも言うように眉をひそめた。

「火鉢をお運びしましたから、きっと喉が渇くだろうと思って白湯をお持ちしましたら、あっという間にもぬけの空で……生きた心地がいたしませんでしたよ!!」

 政宗の近くに寄って胸を撫で下ろしそう話す女中は政宗の城の中でもとびきりの変わり種だった。名をと言う。政宗の家臣の一人である孫兵衛が女中にどうかと連れてきた女であるらしい。よく働く女で評判もいい。
 どこが変わっているかと言うとその出自にあった。孫兵衛は伊達の家臣の後藤の家の養嗣子であるが、その後藤家の筋の子かと言うとそうではない。身寄りがなく、その上生まれがどこだかはっきりしない。しかし孫兵衛とは昔からの長い付き合いであるらしく、その縁から彼女をどこぞに任せられないかという話が伊達に来たのであった。
 女一人に大層手間をかけるなと当然ながら誰もが不審に思った。まさか手の内の女を伊達政宗に近づけて……なんてゲスな勘繰りも浮かぶには浮かんだが、孫兵衛の顔を一度でも見ればそんな策略がないことは明らかだった。

というのは母上が付けた名でして」

とふとした折に孫兵衛が話していたのを思い出す。

「あやつは不思議な事をよく知っている女で、きっと伊達のお役に立ちましょう」

 よく働くし、よく気が付くという点ではその言葉は実証済であるが、「不思議なこと」というのは一体何のことだろうか。政宗は傍らに立って、はぁ〜〜っと手を擦りあわせるのつむじを見下ろした。

「政宗様、寒くはございませんか?」
「いや、寒くはない」

 なまえの問いに対して、口を突いて出てきた言葉は全くの嘘だった。足元はすっかり冷えて感覚が鈍くなっているし、着物の合わせ目から冷たい風が吹きこむ度に体はカチカチと小刻みに震えた。それを見てが両の眉を「おや」と持ち上げる。政宗は少し気まずくなり、気づかれぬように舌打ちをした。
 らしくもない嘘を吐いたのは、が政宗の腹心である片倉小十郎と親しい間柄であるからだった。戦場では右目のない政宗と合わせて竜の右目なんて呼ばれて恐れられている彼が彼女の前で少々だらしない位に柔らかい顔をするのを政宗は幾度も目にしていた。
 彼女の両腕の中には大き目の羽織が抱えられていて、おそらく政宗のために持ってきたものだった。は羽織を温める様に抱え直し、困ったような声を出す。

「片倉様がお探しでしたよ」

 いや、おそらく自室に政宗がいないことに気づいたが小十郎へ伝えてそれに額を押さえ溜息をついた小十郎が「手が空いてたら探しに行ってくれるか」などと言ったのだろう。

「空も悪うございますから、是非お戻りになってくださいませ。きっとその内、雪が雨に変わります」

 迷う政宗を畳みかける様になまえが羽織を差し出した。どこか見覚えのある枯茶色だ。まだ元服したての政宗にはやや大きめの羽織。そこで、政宗は「ああ、そうか」と気付き、納得した。

「それ、小十郎の羽織か」

 視線で羽織を示し、政宗は小さく息を吐いた。胸の内が疼く。捉えようのない感情が湧き出しては、肩に乗った雪のようにじわりと滲んで消えた。

「左様ですよ。片倉様が見つけたらこれを被らせて帰って来いって」

 の口調が少しぞんざいになった。きっと小十郎の真似でもしているつもりなんだろう。政宗は笑みを浮かべて、羽織を受け取った。それを見てが「さぁ帰りましょう」と背を向ける。政宗は手の中の羽織を見て、それから目の前の細い肩を見た。


「はい、何でしょう」
「一緒に羽織るか」
「はい?」

 が数歩先で足を止める。の数歩は政宗の一歩だ。踏みしめた雪がギチリと甲高い音を立てる。あっと言う間にの隣にきた政宗は羽織の端をの右肩に掛け、その反対側を自分の左肩に乗せた。

「……政宗様、いけません」
「何がだ」
「こんな易々とおなごに近づいたりして」
だからいいだろう」
「……そういう問題ではありません」

 ピシッと言い返されはしたがそれ以上説教をするつもりはないらしく、はこれ見よがしに深く息を吐くのみだった。

「おなごは体を冷やしたら良くないと聞く」
「よくご存じで」

 の歩幅に合わせて歩くと、やけにゆっくりとした足取りになった。雪の中、同じ羽織を被った男女の姿は傍からどう映るのだろう。想像したら空しくなりそうだ。

「お前が体を冷やしても駄目だし、俺が風邪を引いても駄目。だったら二人してこの羽織を被るしかないだろ」

 政宗の屁理屈にはけらけらと笑った。

「あーもう、わかりました。私の負けです」

 彼女が肩を震わせながらよろけそうになるのをさり気無く支えて、政宗はその冷たさにハッとした。彼女がいつ政宗の不在に気づいたのかは解らないが、一体どれだけの間政宗を探して回ったのだろう。政宗は先の自分の言葉を発した自分がとてつもない阿呆に思えた。何がおなごは体を冷やしたら、だ。それをさせたのは正に自分に他ならないのに。

「政宗様」

 ふとの身体がぎゅうっと政宗に押し付けられた。羽織の中で彼女の体温がじわりと膨らむように政宗を包む。

「おしくらまんじゅうってご存知ですか?」
「いや、」
「おっしくーらーまーんじゅう押されて泣くなっ。ほら政宗様も」

 ゆったりとした曲節に合わせて、の柔らかい腕や腰がぐりぐりと政宗の体を圧迫した。さっきまでおなごに容易く近づいてはだのなんだのと言っていた奴の行動とは思えない。

「――ほら、段々温まってきましたでしょ」
「……本当だ」

 彼女の言う「おしくらまんじゅう」を数度繰り返している内にいつの間にか身体の内からぽかぽかし始めて、羽織の中はむしろ暑い位だった。見た所童の遊びのようだが、そう馬鹿にしたものでもないなと感心した。

「すごいなは」

 思わず口調が元服前のものに戻る。それを聞いてが得意げに微笑んだ。両側の頬に丸いえくぼができる。

「よろしければ冬の遊びをもっともっと教えて差し上げますよ」
「……どんなものだ?」
「それは秘密です。政宗様がしっかりと政務を終えたらお教えします」
「俺はちゃんと終わらせてから出てきた!」

 ムキになった政宗にはおっとりと言い返す。

「いいえ。きっと今頃政宗さまの文机の上に片倉様が持ってきた書状が山のように積みあがっておりますよ」
「……が言うんだから、そうなんだろうな」

 が賑やかに笑うのを政宗はじっとりと恨みがましい思いで見つめた。

「では、執務のお供にが葛湯でも差し入れいたしましょう」
「葛湯?」
「はい。寒い冬には生姜と樹の蜜を入れた葛湯が一番です」
「うまそうだな」
「おいしいんですって」

 がまた得意げに胸を張るのを見て政宗は不思議な女だなと思った。見た目は普通すぎる程に普通なのだ。何てことはない女中の一人のような顔をしているくせに、どういう手を使っているのか花や樹木の蜜集めをしたり、人を集めて何事かをしたり、道具を作って書き物をしたりしているらしい。政宗はその全てを知るわけではないが、きっと小十郎辺りは知っていそうだ。孫兵衛が「伊達の役に立つ」と言っていた女。小十郎が笑顔をむける女。
 変わっているという以上の何かを政宗は感じていた。その感情が何なのかハッキリする前に政宗はそれを頭の外へと追い出した。無粋なことはすべきではないだろう。無粋とはつまり、左右から一人の女を引っ張るようなことだ。きっと向こうは政宗に気兼ねして手を放してしまうだろう。すると政宗の手元に女が飛び込んでくることになるが、それでは面白くない。力に物を言わせたのが自分で、彼女のことを心から思って手を放したのが小十郎だなんて、そんな構図は御免だった。それに孫兵衛のこともある。政宗がに手を出したらきっと孫兵衛も少々困ることになるだろう。幸い、今は冬だ。寒い北の地では冬はすることがない。戦も当分はできやしない。

 この間に、既成事実でも作ってくれよと政宗は降る雪に向かって一人ごちた。

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