十七歳のリベリオン

「よし!やっと終わったぜ〜〜っと!」
 ナランチャはテーブルの上に広げた問題集につい先刻まで突き立てていた鉛筆を放り投げ、どさりと椅子の背もたれに体を預けた。カラカラと軽い音を立てながら鉛筆が転がっていく。それはテーブルの端、ギリギリ寸前の所で静止した。
「二番にカルパッチョ、十一番にラビオリね」
「はい!」
 リストランテの中に響く声。鉛筆の先で軽やかに動く少女にナランチャは目を向けた。テーブルに肘を付き、跳ねるような赤毛のポニーテールを目で追いかける。こっち向け、早く、こっちを向け。昼食時なだけあって、リストランテの中は盛況だ。どのテーブルでもほんのり湯気を立てる深皿や焼きたてのピッツァが並んでいて、ナランチャのようにジュースの入ったグラスとノートを広げているテーブルは他に一つもない。
「おい」
「はい!……ああ、ちょっと待ってね」
 痺れを切らして声をかけるも、彼女はちらりとこちらを向いただけで立ち去ってしまった。片方の手には重なった白皿、もう片方の手には所々ソースやワインで汚れたナフキンを抱えて、その背中は潔くナランチャが手を伸ばしても振り返りもしなかった。周囲のテーブルから離隔させるための壁の内側で思わず舌打ちをする。
「……、ちぇっ」
 ナランチャは手元のグラスを呷った。今日はブチャラティもアバッキオもミスタもフーゴもいない。ナランチャだけが留守番の日だった。街の自治やキナ臭い事件に口を出すマフィア……その下っ端である彼らにも当然毎日片付けなければならない仕事が上から降ってくる。だというのに、ナランチャだけがこうして根城にしているリストランテに留まり、フーゴが置いていった問題集と睨めっこをしていた。もちろん好きでここに張り付いているわけではない。ブチャラティの命令じゃあなければ、こんな場所すぐにでも飛び出しているところだ。
「ナランチャ、僕たちが出ている間に問題集のこのページからこのページまでやって、大人しく待っていてくださいね」
 そう言ったのはフーゴで、
「そうだな」
 と頷いたのはブチャラティだった。

「つまんねぇよ……留守番なんてよォ……」
 テーブルに突っ伏し、ナランチャは小さく呟いた。テーブルの上には空いたグラスと鉛筆、そしてノートと問題集が一冊ずつ。フーゴが課した問題集なんてあっという間に片付けてしまった。答えが合っているかは、フーゴが戻ったら聞けばいいことだ。ああ、早くあいつらが戻ってくれば暖かいラザニア、クタクタに煮込んだトリッパ、うまい昼食にあり付けるのに。
「そんなに疲れたの?」
 退屈で死にかけていたナランチャの頭上から軽やかな声が降ってくる。つい先ほど飲み干したグラスに新しいジュースが注がれるのを見て、ナランチャはがばっと体を起こした。
!お前さっき俺のこと無視しただろ!」
「してません」
「してた!」
「してません」
「してた!」
「……ちょっと待ってねって言ったじゃない」
 が呆れた、とでも言いたげにこれ見よがしなため息を吐いてナランチャの正面に座った。ことんと置かれたのは水と薄く切ったレモンの入ったグラスだ。いつの間にやら、テーブルの上にはグラスが二つになっている。ナランチャの視線を受けて、が肩をすくめた。
「わたしのグラス。ピークも過ぎたから休憩しようと思って」
「ここで?」
「邪魔?」
 彼女が首をかしげるのに合わせて赤毛が揺れる。ナランチャは首を横に振った。
「いや。別に」
「そう」
 は頷いて、グラスを手に取った。薄い唇にグラスの淵が触れる。ごく、と喉を液体が通り抜けたのだろう様を見つめて、ナランチャはふと己が彼女の一挙一動を凝視してしまっていることに気づき、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「ブチャラティさんにね、頼まれたの」
「…………え?何か言ったか?」
「だからブチャラティさんに頼まれたの」
「何を?」
 ナランチャはもう一度瞬きをした。
 彼女はチームの全員のことを「さん」と呼ぶ。名前で呼び捨てにするのはナランチャだけだ。
「ナランチャが留守番している間、暇な時間帯でいいから相手をしてやってくれって」
「……へ」
「要するに子守してってことね」
 ふ、と彼女の猫目がゆっくりと弧を描き、唇の端が持ち上がった。全くの子供扱いだ。年齢なんてたった一つしか違わないのに。反射的に。そう何かを考えての行動ではなかった。
「お勉強を頑張ったいい子のナランチャには、ご褒美をあげ……って、うぇッ!?」
 ナランチャは立ち上がり、彼女の腕を取った。ぐいと思い切りこちらに引っ張る。十七の男の力だ。抗えるわけもなく、彼女の前身がテーブル越しにこちらに倒れる。
 眼前に迫った化粧っ気のない頬、その横の半開きになった二枚の花弁にナランチャは口付けた。
 びく、とポニーテールが跳ねる。
「ガキ扱い!すんじゃねーぞ!」

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